投稿者 笹崎辰裕
一晩めずらしく眠れずに過ごしました。
私にはある一人の友人がいます。友人といっていいのかどうか。
なぜなら私は彼に両手で余る回数ほどしかあっていません。これからも会うことはありません。
彼にあったのは5年前で私と同い年でした。
同級生ということもあったせいか、初めてあったときから何とはなしにノリが合いました。
彼の人なつっこい性格もあったのでしょう。
長岡に来たときに良く呑みに行こうと誘ってくれました。今思えば後悔にしかなりませんが、都合が悪く一緒に行けたことはありませんでした。それでも彼は良く誘ってくれました。
彼は私より付き合いの長い多くの友人がいました。
その多さに私はびっくりしました。そんな中でも私に対していつも笑顔で接してくれました。
私が非常につらいときに励ましてもくれました。何の飾りもない言葉でしたが、どれほど慰められたか。
不思議と信用できる、というより彼自身を疑うこと自身考えられない、そんな人間でした。
なぜそんな人だったのだろうと一晩考えました。
答えは出ません。でも、彼の中に私の居場所があったから。そんな風に感じます。
人間好き嫌いは当然あるわけで、その中でも偶然だったり、長い交流の中で認められる何かがあって人を好きになるのではないかと思います。
それでも色んな都合も当然あるわけで、必ずしも誰のそばにもいられるわけではなく、それでも相手の中に自分の居場所が見出せると、だからこそうれしく思えるのだなと、教えてもらった気がします。
私は彼に、まだ到底及びません。
勘違いであったとしても、彼が一年かけて教えてくれたことを忘れないようにしたいと思います。
月別アーカイブ: 2006年8月
再会
投稿者 笹崎辰裕
昨日は同級会でした。
中学校のときの同級会で30名集まりました。当時3クラスで合計100名。だからちょうど三分の一が集まった計算になります。2週間ぐらいの準備で良くぞ集まったもんだ。すごいなあ。
中学卒業後なので20年後の再開です。
で、最初に会った人の一言
「だれだっけ?」
返して俺
「だれだっけか?」
お~い見事に忘れてんじゃん。名前を言ったら思い出してくれました。変わっちまったのかな?俺?なんて不安に思いつつ・・・・・みんなが集まっている部屋に行くと
「お~たつえ~ん!かわってね~」
たつえんと言うのは家の屋号です。小国時代の。変わってはいても見覚えのある顔、顔、顔。
気持ちが20年前に帰って行きます。
懐かしくて、楽しくて、その場にいるだけでうれしかった。
乾杯をしてから一人一人自己紹介。それぞれが色んな苦労はしているのだろうけど、再開のうれしさは隠せません。
私は早めに帰らなければならなかったので、ビール片手に皆と話をしてきました。
途中で盛り上がったのは髪の毛について。良かった。俺だけじゃないのね。洗髪と、育毛剤と、気持ちの持ちようについて語り合いました(涙)抜け過ぎちゃ困る、髪はなが~いともだち。
途中消防車がサイレンをけたたましく鳴らして坂をあがっていきました。
なぜか消防団に加入している者たちが多いので窓を開けて外を見ます。
誰かが言いました「今日なんか出動してらんね~」・・・故郷の治安維持は大丈夫そうです。
早めに帰らなければならなかったので、一番最初に帰りました。で、みちを5分ほど走った頃、忘れ物に気がつきました。かっこわり~な~と思いつつ戻ると
「おかえり~」
「さいふわすれた~」
「おいてけ~」
なんかね、ノリも昔のまんまでうれしかったんですよね。とっても。
1時間半ちょっとの短い間でしたけど、自分に返れる場所が出来たような気持ちになりました。
昨日はいえなかったけど
ありがとう(^^)
草葉の陰
投稿者 笹崎辰裕
昨日はとっても沢山呑みました♪えへへへ。
久しぶりに父の兄弟2人が実家に集まり呑んだんですね♪
「い~ろ~このジョッキ。いつまでたっても冷えねーんだよなぁ・・・・あ、温まらねーの間違いら」
と言うくらい父も酔っ払ってました。笹父三兄弟。絶好調だったみたいです。
仲良きことは素晴らしきことかな。
で、どんなにご機嫌だったかを延々と書いてもしょうがないのでその前にお墓参りに言ったときの話です。
家のお墓は小国町にあるのでそこへ車三台で行きました。
で、ついたら花がない!取りに戻ったと言うので、父以外の残ったもので先にお墓参りをすることにしました。
普段はしないんですけど、今回は墓の上から日本酒をまきました。そしたら・・・・・・
こぼれてこない!
「こ~りゃうんめ~酒らねっか♪と、じーちゃんが言ってる」
と笹父三兄弟の次男。しばらくたってからこぼれてきました。
「おめった、そっげにいきなりいっぺ呑まんねこって!とじーちゃんが言ってる」
とコメリで花をあわてて買ってきた長男笹父。
「口ん中甘ったりっけ、水飲ませれんや~と言ってる」
と笹父三兄弟の三男が水をかけました。
そんなこんなで無事?お墓参りをしてきました。
帰りに村の中央くらいにあるお地蔵様にお参りをしました。
ちっちゃいお堂の中にお地蔵様が三体いるんですよね。三対とも服や帽子をかぶっているんですが、聞くところによると、私が生まれる少し前に私の祖母が無事生まれてくれるようにと、がんをかけて奉納したそうです。祖母も今はお墓の中ですけどね。ありがたいことです。
帰りの車の中カミサンと話をしました。
自分達の代になるのはいつからだろうと。
出来ればずっと先であってほしいと。
普段は喧嘩ばっかしている両親ですが、それでいて身近な存在なので大事なことほど言いづらい相手なのですが、元気でいてほしい。
ま、呑んでる姿を見ている限り、そーとーしばらくは元気でしょうけど♪
雨月奇憚
投稿者 笹崎辰裕
今回のタイトルを見てピーンと来て、なおかつその手の話が苦手な方はご遠慮下さい。
日本の昔話です(名前等はうろ覚えです)。
『あるところに仲のよい夫婦が住んでいた。夫の名は礼二、妻の名は節子といった。
節子は体が弱く子宝に恵まれなかった。それでもつつましく二人は毎日を過ごしていた。
だがやはり体の弱さがたたり、はやり病で妻は早くに亡くなってしまった。
男は悲しみにくれていたが、十数年後新しい妻を娶った。やがて二人には子供ができた。
子供はすくすくと育ちやがて成人した。
ある夜。礼二は夢を見た。
枕元に前の妻の節子が立っていた。
次の新月の日に迎えに来ると。
前の妻はそれだけ伝えると消えていった。
礼二は悩んだすえ、家族にその話をした。最初は何の冗談かと思った家族も新月が近づくにつれて、気が気ではなくなった。
家族は檀家の寺に相談した。
住職は新月の晩に礼二を本堂にかくまってくれる事を約束した。ただし守れるのは一人で、礼二はその晩は一人で本堂にいなければならない。
新月の晩。礼二は本堂に一人いた。本堂の戸という戸はすべて閉められ、その全てには魔よけの札が貼られた。
夜もふけた頃。戸をたたく音がする。
誰かと思い礼二は音のした戸の方へ行った。
誰か、と礼二は聞いた。
私です。
応えた声は節子のものだった。なぜ私を入れてくれないのかと、言葉は続いた。
礼二は何も応えなかった。いつしか外は強い雨風になり、戸をたたく音が前の妻のものなのか、雨の音なのかわからなくなった。
雨音に節子の切ない声が混じった。どうか入れてほしいと、一目だけでかまわないと。
礼二は耳をふさぎ本堂の真ん中でうずくまり、ただ時が過ぎるのを待った。
いく刻が過ぎたのだろう。気づけば嵐の音は止み替わりに鳥のさえずる声が聞こえてきた。
朝が来たのか。
そう思い礼二は本堂の戸を開けた。
雨風の中に、濡れた節子がそこに立っていた。
新月の翌朝。本堂に横たわっている礼二を家族が見つけた。
だがその顔は不思議と安らかに見えたという』
なぜ前妻は夫を連れて行こうと思ったのでしょう?うらみでしょうか?違う気がします。
なぜ礼二は朝が来たと思ったのでしょうか?嵐の音が止んで鳥のさえずりが聞こえたから?カミサマでもない者にそんなコトができるんでしょうか?ではなんで自分から戸を開けたのでしょう?
なんだかとても悲しい話なのですが、二人の間に言葉では伝えられない気持ちの繋がりみたいなものを感じて、とても切ない気持ちになります。
あなたはどう感じますか?
音楽のカミサマ
投稿者 笹崎辰裕
小劇のシナリオを作って。と言う宿題がある。
今まで作ったことなんかもちろんない。さてどうしようか?実は1週間ぐらい考えていたんだけど、今頭の中にあるのは最初のものとはずいぶん違う。最初のもの?くだらなすぎていえない・・・まあ、私の頭の中にあるだけだから、勘弁してもらおう。
この小劇、FJC.Nのコンサートのなかでアンパンマンのマーチをやるのだけど、その中で1~2分の時間でちょっとしたことをしようということだ。もちろん出し物はアンパンマン。毎日長男と見ているけれど、ちょっと見る目が変わったかな。
今回のコンサートはプロのギタリストさん。近郊の中学校の吹奏楽部、FJC.Nの会員さんたちも歌って踊る。
たくさんの人たちがそれぞれの音を合わせて出来る音って1+1+1=3ではない。不思議と4にも倍の6にもなる。ライブのすごさはライブでないとわからない。カラオケのデュエットなんかでも経験あるだろうけど、あれのすごい版って言えば想像できる?
んでもって、今までやってきたコト全てが拳にやどる・・・・間違った、やってきたことが音に乗る。
ちゃんと音楽のカミサマが舞い降りる。
で、今考えているのは台詞無しでミニ楽器を使って何か出来ないかな~ということ。
アンパンチでバイキンマンがふっとんで終わりってのはな~んか違う気がする。たまにバイキンマンも仲良くみんなといるお話ってあるじゃないですか?結構好き。あの手の話が。
どうかカミサマが来てくれるように。練習しよ。
あるこ~あるこ~
投稿者 笹崎辰裕
私は~元気~♪
先週くらいに金曜ロードショーで放送していたとなりのトトロのオープニングテーマである。
うちの長男のお気に入りでもある。この前まではレミオロメンの粉雪がお気に入りで、粉~雪~こ・こ・ろまでち~ろく~♪と歌っていた。
で、なんであるこ~あるこ~なのか。昨日ある村道を車で走ったのだけど、イイ感じだったんですよね。
ナニがいいのか。
なんかでそうな雰囲気がとってもよい。
車で10分ぐらい。たぶん自転車だと27分くらい。途中に池があるので、はまったら身も心もケロケロになれること受けあいだ(ちょっとたぶん意味違う)。きっと天竺に旅立ちたくなるに違いない。
ここのところの開発で、夜地面が真っ暗になる道と言うのはほとんどない。
暗いところは何で怖いのか?そこに何があるかわからないからだそうだ。怖い半分は自分の想像力の産物と言うことだ。とっても怖いけど、とっても気持ちが静かになりそうでよい。
蛍の時期は7月頭なので今は見えなかったけど、夕映え近くにどこか似たような処を散歩してみたい。
工事前
投稿者 笹崎辰裕
昨日は着工式だった。
これから工事を始める3組のお客様がおいでになり、それぞれ担当の業者さん方にお会いになられた。
ちょうど上棟式があり社長がそちらに出ていたので私が挨拶をすることになった。
それぞれの営業担当者からお客様のプロフィールなどを聞いて言うことの下書きなんかを書いておいたのだけど・・・・・・
うまく話せない。この前の着工式は社長が挨拶を行ったのだけど、しゃべるのうまいなぁ、と素直に思ってしまった。この道の差20年の違いか・・・・・悔しいなあ。
これからお住まいを作るにあたっての私達の気持ちやお客様の思いなどを表現したいのだけど、どれもとってつけたようでうまい言葉が見つからない。どうも自分の口から出るとありきたりに聞こえるようで言えないのである。何が違うんだろう親父と。
何かできないことがあると、いつもある小説の主人公の台詞を思い出す。
主人公はその土地を統べる地主の跡継ぎ。あるとき祖国を敵国に襲われ、生き残ったわずかな仲間に助けられた場面。仲間にあなただけは助かってくれといわれて。
「俺は若といわれるたびに、『将来をよろしく』と言われていたのだぞ。やつらは俺の器や気質に惚れていたのでもなんでもない。ただ俺が将来この土地を受け継ぐという事実にのみ期待していたんだ。土地も民も失ってなにが王だ」
全部が全部当てはまるわけではないけれど、この台詞、他人事とは聞こえない。
業者さんに頭を下げてもらうたびにそれはそういうことで、ましてや私よりほとんどの業者さんが年配ということを考えると・・・・む~。
昨日もある業者さんに、うちの都合でその業者からの入品ができなくなり、お詫びを言ったとき
「それは三井さんの都合なので何も謝らないで下さい」
とにっこり。大人だなあ。なんだかとっても申し訳ない。
住まいを作るには20社前後の業者が関係してくる。
今もこれからも・・・・・掛けられているだけの期待にはやっぱり応えたい。
子供達
投稿者 笹崎辰裕
風邪が完全に抜けたらしい。
よ・か・っ・た~。足の裏がちゃんと地面を感じている。雲の上じゃない。
健康ってそれだけで幸せなんだ。健康って素敵♪
なにしようかなぁ・・・・・・仕事しよう。
で、今日は色んなところで色んなお子様に会った。
昼休みにピアノの先生が「つわりぬけました~」と元気に言ってた・・・・・・・本日一番小さいお子様でした。私のへんてこりんなミッキーマウスマーチなんかを胎教で聴いて大丈夫なんだろうかと若干心配になった・・・・先生曰く平気らしい。
営業中高校時代の先輩の娘さんにあった。うちの子より4ヶ月下だけど、学年では一つ下。着ているものもそうだけど、2歳にもなると男の子女の子がはっきりするもんだと思った。
「あんたんちの子、よ~くしゃべりそうだよね~」と言われた。
どういう意味だろう?最近確かに良くしゃべるけど、それでいて言うこと聞かないけど。
先輩は三人娘が夏休みに突入し、大変らしい。そうか。世間は夏休みか。道理でわきの下が汗かくなあと思った。
夕方にお伺いしたお宅で6月に生まれたばかりの女の子を拝見。
私の長女も生まれて半年だけど、生後2ヶ月やっぱりちっちぇ~。なんで生まれたばかりの子供って無条件にかわいいんだろう。帰ってから長女を見て、でっかくなったなとしみじみ思った。機嫌がたいへん悪いようで、泣き怒ってたけど。喜怒哀楽。長男並みにはっきりしてます。最近は。
友人が娘と映画を見に行って質問をされたらしい。その質問に答えられなかったと言っていた。
ちなみに私もずーと考えてみたが、ろくな言葉が浮かばない。
時に子供は何の飾りも無いそのままの疑問をぶつけてくる。
私の子供達はまだ「これはなに?」ということしか聞いてこないけど・・・・・・
ちなみに、なんでも答えられる自信はちっともない。
でも、聞いてあげて一緒に考えることのできる親になりたいと思う。
友人と
投稿者 笹崎辰裕
昨日で3夜連続の花火大会が終わった。
最終夜花火の打ち上げが終わってから友人から飲みに行こうと言う誘いがあった。
高校時代の部活の仲間達だ。4人の男どもが集まって近くの飲み屋さんへ繰り出した。
結婚しているのが2人。していないのが2人。家庭の話や仕事の話題。どんな話をしていても雰囲気が重くならないのが不思議でもあり、ありがたくもある。誰かの歌ではないけども気持ちはそのまま高校時代のノリなのがうれしい。
たいていしまいにはくっだら無い話になる。今回の最終ネタは死んだときにいかに自分のPCのハードディスクの中をクリアできるか。
たいていの人は自分のPCの中に他人には見られたくないようなデーターがあるわけで、それを葬式後いかに「自動的」に消去できるかを考えた。
?パスワードを設定しておく→消えない
?他のサーバーに乗っけとく→ハードディスクにあることに意義?があるのでダメ
?ある一定期間パソコンに触らなかったら消えるように設定しておく→旅行いけないじゃん
?死んだら俺が消してやる→お前にだけは見られたくない
・・・・・・これが解決できたらビルゲイツ並みの天才だということで話は終わった。
今度彼らと会うのはいつだろう?
どんな状況になってたとしてもたぶんまた、変わらずに会える気がする。
祭り二日目
投稿者 笹崎辰裕
昨日は祭りの二日目。
日中営業に出ていたこともあって市内が祭りの雰囲気に包まれていることをおとといより強く感じた。
夜。花火見ましたか?
色とりどりですごかった。
子供二人とカミサンと、きれいだね、大きいね、と部屋の窓から見ていました。
久しぶりに発泡酒サン・ゴ缶2本頂きました。ありがたや~
その年その年で色々な花火が上がるけど、人それぞれ好きな花火は色々あるのだろうなと思う。
その花火にまつわる思い出なんかもあり、色んな気持ちで見ているのだろうななどと思った。
生家の土地でも長岡花火に比べればとても小さいけれど花火大会がある。
もうずっと前だけど、その花火大会に三井工務店が花火を上げた時がある。
10号花火一発だ。
その花火を祖母と二人で自分の部屋から見た。
花火が打ちあがる間隔がそれなりにあるのでちゃんと数えているとどれだかわかる。
緑色のまん丸の花火だった。
「今のらかや?」
と祖母が聞く。
「そーらよ」
にまっと笑ってうなずく。
「じゃ、おら見るがん見たっけ寝るわ」
「へーいいが?」
うなずいて階段を下りる祖母。
息子の花火が見れて満足だったのか、どうなのかよくわからないけど、うれしそうだった。
花火を見ると、見た年ごとのいろんなことを思い出す。これからも増えていくんだろうな。
ちなみに私の長岡花火デビューは・・・・怖くて大泣きしていた覚えが・・・・・