月別アーカイブ: 2007年5月

はしおき・・・・・たぶん3

投稿者 笹崎辰裕
最近走るとゆれる。性別は男なので、もちろん豊かな胸ではない。
最近うつ伏せが辛い。性別は男だけど・・・・・・そのへんのコトはそっとしておいてほしい。
ようするに、腹が邪魔だ。正確には腹につきまくった脂肪が邪魔だ。
春の衣替えの時に危機感はあった。久しぶりに会った友人がまるで別人になっていたような衝撃が走った。まだ友達でいてくれる制服達と今シーズンはすごそーかな~なんて考えていた。
しかし2ヵ月後。社員一同に送られてきた健康診断の結果が私の手元にもある。
判定 D。
D~はダメだよんのD~♪
せめていろはにほへとで表現してくれてたらもうちょっと衝撃は小さかったのに。きっちり健康管理ダメ人間の烙印を押された気分だ。「い」がいちばんよいとしたら「に」・・・・・・わけわからん。
ちなみにガンマGTPの値は今までの中での最高値をはじき出していた。旧式のスカウパーが破裂しそうな数値だった。
数値は静かに教えてくれた。
「オマエノカンゾウ。フォアグラ」
まったく洒落にならない。
歯の真っ白な黒人さんに鍛えてもらうしかもうないのか?
途中でくじけたら腹筋300回やらなきゃダメなのか?
長生橋と大手大橋がオイでオイでをしているように見えるのは気のせいか?
今日風邪を引いた状態でお客様の仕事場にお伺いした。
軟弱者と判定されたので、そう言えばお客様はお風邪を引きませんねと返したら、薬だけは沢山あるからとお答えになられた。
そのお客様のお仕事は薬局である。
ちなみにビリーさんともお付き合いがあるらしい。
・・・・・・自分がガチョウに思えた。ぐわわ~~~~

祝いモノ

投稿者 笹崎辰裕
昨日4組のお客様の着工式を行った。
皆さん緊張されて着工式を迎えられた。
いつも着工式のときは一言いただいているのだが不思議なことに必ず同じ事を言われる。
「どうかお怪我のないように」
私共の事をご心配されているだけではない。住宅というのは一度造れば簡単にもう一度造れるものではない。ましてや土地は変えのきくものでは無い。
何か一つその地で起きればそれは穢れ(ケガレ)としてそこに残るわけである。
だから地鎮祭、上棟祭、その他建物の方位などは様々な見解から縁起を担ぐ。
住まわれてからのお客様の笑顔も大切だが、住まわれるまでにお客様の顔を曇らせることの無いようにすることも、とても大切なことと思った。

TRUE COLORS

投稿者 笹崎辰裕
上越に色彩について勉強に行ってきた。
色彩プロデューサーの中神公子先生のセミナーだ。
色の話を中心にお客様にご満足していただく住宅をどう作るのか、それをどうアプローチして進めていくのかを学んできた。活用できるかどうかは今後の勉強しだいだろう。
セミナーの中でいくつか印象的な言葉をここに記しておこうと思う。
言葉を磨く・・・・・人を育てるのは言葉と態度しかない。この前も書いたけど、上面だけの言葉では意味が無い。単純におしゃべり上手になれということではなく、発言に伴う行動をとれという意味なのではないかと思った。逆もまた真なりかな?
信用と信頼・・・・・信用は社会道徳的な見解で信じるに値すること。信頼は人間的に信じるに値すること。どっちも得られないとなると、そりゃ寺で修行するしかないんじゃないだろうか?まあ自分を省みるのは一人でも出来ることだとは思うのが。信用は社会人として当たり前に備えなければならないし、信頼は積み上げて得られるようなものだと思う。だから尊いのか。
必ず見えない部分の努力をする・・・・・自分が自分を磨く努力をしない人間が、他を磨けるわけが無い。全く持ってその通り。とってもイタイ・・・・・いやお腹ではなくて心が。さて、私は何を磨こうか?
ちなみに先生がおっしゃられたときに浮かんだのが米をといでいる自分だった。・・・・・意味が違う。

ありがとう

投稿者 笹崎辰裕
本日第四回感謝祭を行った。
朝十時から始まり、昼二時までの4時間に100組のお客様がご来場され、400名を超える来場者だった。当初心配していたモンスーンによる影響もなんのその。
奇跡のような一日でした。
まずはおいでいただいた全ての方に感謝をお伝えしたい。今回この感謝祭を盛り上げていただいたのは間違いなく皆様です。おいでいただいた方々の笑顔に私達は大変エネルギーをいただきました。
地域の中の一法人である以上担うべき仕事を全うすることは当たり前ですが、それが地元の中で歓迎される存在であるかどうかを確認する機会と言うのは実は非常に少ない。
この感謝祭で得た感動を活力に変えてこれからの業務で還元することが私共の使命と思いがんばりたいと思います。
本当にありがとうございました。
そしてご協力いただいた全てのスタッフへも感謝を。
今回で4回目のご協力ですが常に前向きな姿勢で取り組んでいただいたことが、どれほど三井工務店に安心感と更なる期待を抱かせてもらったことでしょう。この四年間一度たりとも前年と同じで良いという意見はありませんでしたね。それがどんなに困難な事かも理解しつつ着いてきていただき、時には引っ張っていただきました。一つことを成すと言うことがどういうことなのか、いつも学ばさせてもらっていると思います。今回の感謝祭の成功は全て皆様のおかげです。ありがとうございました。
そして懲りずにどうか来年もお手伝い下さい。もっと、もっと楽しい感謝祭を作りましょう。
おいでになれなかった方々へも感謝を。
私共は感謝祭を行うときは最初に述べたように皆様がどうすれば喜んでもらえるかを考え企画します。
皆様のご期待がそのまま私共への活力となります。
年に一度のイベントですが来年を楽しみにお待ち下さい。どこかでそんな声を聴く事が出来たのが今回の原動力だったし、今後何らかの機会でそんなお言葉を頂戴したら私共はもっとがんばります。
来年更に多くの方々にお会いできることを願っております。
最後に・・・・私事ですが、ワタクシの妻が初めてスタッフとして参加しました。
先ほど子供のオムツ替えで半分寝ていたところを起こしてしまったのですが、夢の中で当日のチケットを渡していたそうです。
ご苦労様。ありがとう・・・・・って、すでに爆睡中(~ ~;

立ち上がって歩いた

投稿者 笹崎辰裕
昨日お客様から新築のご契約を頂戴した。関君のお客様だ。
ご契約を交わしたときのお客様ご夫婦の真剣な表情での「お願いします」の一言が印象的だった。
「お願いします」
この言葉には言葉の前に沢山の思いが含まれている。その一つとしてもらしたくはないし、結果として「ありがとう」という言葉がいただけるのなら最高だ。まずは昨日のお客様の真剣な態度を忘れないことだ。がんばろう。
その帰りの車中で二人で交わした言葉がある。
「何かを成そうとする時、人なしでは成りえない」
そんな内容の話だった。別に説教をしたわけではない。え?説教くさかった?
・・・・・・・・・・・とりあえず歯ぁくいしばれ!
でも最近そう思う場面が良きにつけ悪きにつけ多くある。
人が集まれば団体となり、団体が出来れば長が必要となる。必要とされた長はその集まりに対して指示を出す。その時の言葉として「お願いします」の言葉が出る。
これは決して私の替わりにやってくれと言う意味ではない。それだけの意味しか発せない長など、むしろいるだけ迷惑だし無意味だ。
団体となった以上構成する一人としてその意を汲むことは人としてあるべきことだと思う。わからなければ聞けばいい。
事を成そうとした場合、もちろん結果は大切だがその過程をどうするかも大切なのではないかと思う。過程を経てからこそ生まれるものも多々あると思うからだ。
さて、偉そうなことを沢山書いた。なぜか。実は昨日の夜から怒っているから。
明日。私が「お願いします」の言葉を頂戴したとして、その方の態度いかんによっては私は自分を抑える自信がない。
なんの意味も持たない言葉などいらない。

七歩・・・ぐらい

投稿者 笹崎辰裕
今日・・・・もう昨日になったけど5月1日は会長夫婦の結婚記念日だ。
ところが私はおめでとうの一言も言っていない。陶板浴ひかりの営業日なので二人して仕事をしていたが夕食は何か特別なものでも食べたのだろうか?何もしなくても記念日が当たり前のこととして迎えられるコトはある意味とてもすばらしいことだと思うし、四十年以上をそう過ごせていることは私にとっての誇りである。
なんでもそうだけど、当たり前のことを当たり前に続けていくことはカンタンそうでとても難しいと思う。自分の中に確固たるルールを作りそれを守っていくストイックな姿勢が必要とされるからだ。
私達の生活は決まりきったルーチンワークをこなしているわけではなく、必ず第三者による介入が発生する。自分のルールがあってもそれを曲げねばならぬ場面も多々である。
戦後直後に生まれた父は自分はこうしたいというのをはっきり言う人間ではないと私は感じている。少なくとも家庭では。
祖父も祖母も私は二十年以上見ているので、決して簡単な人達ではなかったと感じていた。その中でもある意味耐えてきた母は瞠目に値する。泣いているところは何度も見たが。
家庭では短所だらけの父が母に示してきた、多分たった一つの態度とそれを理解してきた母だからこそ誇りに思えるのだろう。
そんなことを考えていたら友人が家族に対して同じように自分の行うべきことを態度で示していると聞いて感心した。自分の中の葛藤をどれだけ自分の中で納得させてきたのだろうか。
私も多くの場面で示すべき態度がある。全ては行動で表せねば。
そう言えば福山雅治さんがラジオで誕生日にご両親に「生んでくれてありがとう」と言っていると聞いて、二年前からまねしている。
正直死ぬほど恥ずかしい。
今年両親に言ってみたら、その時ちょうどテレビでミスターセロの番組をやっていた。
テレビに釘付けの母の「あ、そ」のあまりにもそっけない返事に、私は番組の内容より驚いた。